
最近、どんなごはん作ってるの?
料理上手な義母に聞かれた何気ないひとこと。
わたしは思わず、言葉に詰まりました。
仕事に育児に、もう一杯いっぱいの毎日。
SNSを見れば、きちんと副菜まで用意されたカラフルな食卓が並んでいて、
それと比べてしまう自分に、また落ち込む…。

ちゃんと作らなきゃ

手抜きって思われたくない
そんな思いに縛られて、料理がしんどくなっていた頃、
一汁一菜という考え方に出会いました。
完璧じゃなくていい。
まずは、自分を壊さないためのごはんでいい。
今日は、そんな私の体験をもとに、
一汁一菜に救われたこと、そして“ママだけが頑張らなくていい”という気づきについて書いてみたいと思います。
毎日副菜まで作ってる人って、すごすぎませんか?

SNSやレシピサイトには、「一汁三菜」が“理想の食卓”としてたくさん紹介されています。
・主菜
・副菜その①
・副菜その②
・汁物
・ごはん
きれいなお皿に盛りつけられた料理たち。
「すごい…」「ちゃんとしてる…」と思う反面、
「え、これ毎日…?」「私には無理…」と、ため息が出てしまうことも。

実際、家事に育児に仕事に、めいっぱいのママが
毎日すべての食事でこのスタイルを目指すのは、かなりハードです。
それでもつい、周りの“ちゃんとしてる食卓”と比べて落ち込んでしまう。
副菜まで手が回らない日は「今日はちゃんと作れてない」と思ってしまう。
でも、それって本当に“ちゃんとしてない”ことなんでしょうか?
比べるとしんどい。SNSの真実とリアル

SNSを開けば、毎日のように流れてくる「素敵なごはん」の写真たち。
バランスのとれた献立、彩りのきれいな副菜、完璧な盛りつけ。
見ていると、「あぁ、みんなちゃんとしてるな…」と、自分のごはんに自信がなくなってきてしまうことも。
でも、ちょっと待って。
実はそれ、“職業”として発信している人たちの投稿かもしれません。

たとえば、料理インスタグラマーさんやレシピ系のインフルエンサーさんは、
その写真やレシピを投稿すること自体がお仕事。
たっぷり時間をかけて、
・映えるように並べて
・光のあたり方を調整して
・撮り直して…
ようやく投稿されている一枚です。
その裏には「見てもらう」「いいねをもらう」ことでお金を得るという目的があるからこそ、
あれほどまでに“完璧”に見えるのです。

それを、今を生きる“リアルなママたち”がそのまま真似しようとしてしまうと、
しんどくなるのは当然のこと。
でもそれは、あなたが“ちゃんとしてないから”ではなくて、
比べる相手を間違えちゃっているだけなのかもしれません。
わたしも、毎日一汁一菜でやってる今のごはん風景を、
SNSにあげるのはちょっとためらってしまいます。
でも、
**がんばりすぎずに続けられる食卓こそ、
ほんとうに価値のある“家庭のごはん”**だと、いまは思えるようになってきました。
「一汁一菜」なら、心も時間もラクになれた

SNSで映える料理よりも、
子どもが泣いてて、お迎えギリギリで、冷蔵庫とにらめっこしながら作る——
そんな“普通の家庭のリアル”を映したYouTube動画の方が、胸に刺さる日ってありませんか?
ああ、これが現実だよね。
みんな、日々を回すので必死なんだって、ホッとする。
私にとっての一汁一菜は、まさにその“戦闘”の中で編み出した、生きのびるための知恵でした。

具だくさんのお味噌汁に、ごはん、メインをひと品。
それだけで「よし、今日もごはん作った」と思える。
たくさんのおかずを並べなくても、
きれいに盛り付けなくても、
温かい汁ものがあるだけで、ちゃんとごはんになる。
むしろ、シンプルだからこそ「食べる」ことに集中できるようになったし、
後片づけも楽になって、夜の時間にも少し余裕ができました。
料理って、“ちゃんとやる”ことがゴールじゃない。
「暮らしを回すために、どう無理なく続けるか」を考えるほうが、ずっと大事なんだと思います。
だから私は今、一汁一菜というスタイルを“手抜き”ではなく
「わたしなりの答え」として、誇りを持って選んでいます。
わたしが救われた“副菜を手放す”考え方

以前の私は、「主菜+副菜2つ+汁物」くらいが理想の献立で、
それが“ちゃんとしたごはん”だと思い込んでいました。
でも実際やってみると、
副菜まで毎日用意するって、地味にしんどい。
メインと味付けがかぶらないように、
彩りも考えて、
余った食材を使い切って、
そして、洗い物も倍に…。
仕事から帰ってきて、子どもの相手をしながらそれをこなすなんて、正直、無理ゲーです。
そこで私は、思いきって“副菜を手放す”と決めました。

といっても、何もしないわけじゃなくて。
必要であれば、副菜も作ります。
(…と言いつつ、基本私は手放したので作らないですけどね、笑)
それでも「ちょっと一品ほしいな」と思ったときのために、
“切るだけ・出すだけ副菜”のパターンは、いくつか常備しています。
トースターで焼いた油揚げ+しょうゆ
冷凍茹でブロッコリー+マヨ
冷奴+かつおぶし
このくらいの“簡単すぎる副菜”があれば、気持ちがラクなんです。
そしてなにより、
「汁とメインがあればOK」と、自分の中で基準を変えたことがいちばん大きかった。
ごはんづくりのハードルがぐっと下がって、
「今日はこれでいい」と思える日が増えました。
副菜を手放すって、サボってるわけじゃない。
自分の余裕を守るための、やさしい選択なんだと思います。
“手をかける”でも、“手を抜く”でもなく、
「手をゆるめる」くらいが、ちょうどいい。
ママだけが頑張らなくていい。一汁一菜は“優しさのかたち”

ごはんって、家族のために「ちゃんと作らなきゃ」って思うほど、
どんどんプレッシャーが大きくなっていきます。
でもその「ちゃんと」が、
自分を追い込むものになってしまったら——
それはもう、誰のためにもなっていないのかもしれません。
一汁一菜というスタイルは、
決して“手抜き”なんかじゃありません。
・具だくさんの汁で野菜をとる
・メインでたんぱく質をとる
・ごはんでエネルギーをとる
シンプルだけど、ちゃんと考えられていて、
何より、作る人の余裕を守ってくれるやさしいごはんです。
「今日はこれだけでいい」と自分に言えるようになったとき、
心にも時間にも、すこしだけ余白が生まれました。

その余白で、子どもとゆっくり話せたり、
お茶を飲む時間ができたり、
何もしないでぼーっとすることができたり。
一汁一菜は、
家族を支えるごはんであると同時に、わたしを支えてくれるごはんでもありました。
料理を“完璧に”することより、
自分と家族が、ちゃんと暮らしていけること。
そのほうが、よっぽど大切なんだと思います。
「ママが笑ってるほうが、家族はうれしい」
そんなシンプルな事実を、
わたしは一汁一菜に教えてもらった気がします。
まとめ

一汁一菜は、「ちゃんと作らなきゃ」と苦しくなってしまったママにこそ、知ってほしいスタイルです。
がんばることだけが愛情じゃない。
“がんばらない”を選ぶことも、立派な家族への想いのかたちです。